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そういう時期だから

まことしやかに囁いてよアレを

犬も歩けば棒に刺さる 

 
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて
硯に向かうも、
心にうつりゆくよしなしごとが
そこはかとなく、そこはかとなさすぎて・・・
呆然。
その日の出来事はその日のうちに
記録として完成させなければならないのではないかという強迫観念と、
ブログの文章は俳句のようにひとつの形として
完成されたものでなければならないのではないか?という過剰な自意識に囚われ、
いつまでたっても完成しない断片ばかりが溜まってゆくのであった。
しかし、よくよく考えてみたら、
なにかを「完成」させようと思う事自体ハナからおこがましい話だし、
その日の出来事をその日のうちに記録する必要は特になく(強迫観念の克服)、
また特に誰から期待されているわけでもない上に(自意識過剰の自覚)、
断片の記録が必ずしも時系列順でなくてもいいのかもしれない、と思いたち(パラダイムシフト)、
そこはかとなく書きつくれば、
あやしうこそものぐるほしけれ。


(現代語訳)
ちゃんとブログ書こうと思った。


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5/9

◯薔薇
京大キリスト教博士のあんちゃん、という概念とコーヒーをしばいていたら、
朝日新聞のおじさん、という概念からあんちゃんに連絡が入り、
神宮道の画廊に絵を見に行くことになった。
 
道中、ふたりがキリスト教のよくわからないむずかしい話をしていたが
よくわからないむずかしい話を聞くのは好きなので勝手にニヤニヤしていた。
教養ある人の話を聞くのは、知識のシャワーを浴びるような感じがして、たのしい。
 
たちのぼる雨のかほりに、慶ぶ鼻孔。
 
久々に静物画、
やはり、定期的に静物画を観なければならない。

年々静物画が好きになってる気がする。
年を取ると演歌が好きになるのと同じ理屈か・・・?(ちがうとおもう)


さまざまな作家の「薔薇」を集めた展覧会、
わたしには作家の名前も画壇の力学もとんとわからぬが、
そこに薔薇があるということだけはわかる。(阿呆面)
さまざまな薔薇。

美術鑑賞の方法はさまざまあると思うけれど、
一体「何が、」その絵を描かせたのか。
と、作品に問いかけてみるのは悪くない方法なのではないかと今のところ思っている。

すべて、同じ薔薇ではない。

その人は薔薇の、「何を、」描きたかったのか。
質感、
量感、
色、
光、影、
湿度、
空間、
あるいはそのすべて。


一体「何が、」その絵を描かせたのか。


存在そのもの。



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5/7

◯存在

その女の子は鳩を避けていた。
 
聞くと、鳥が苦手なのだと言った。

不可解なものを警戒するネコのように、じりじり・・・と鳩との間合いをはかる姿は、
なんていうか動物!!って感じがして、とてもよかった・・・。
グッときた・・・。
そこが動物園だったこともあり、余計に。

感覚的であることは、善い・・・。


いわく、檻をはさめば大丈夫、らしい。
また、写真や映像で鳥を見るのも平気だそうだ。
近くに、目の前に来られると、拒絶してしまう、近寄れない、らしい。

概念は許せるが、存在は許せない、という感じだろうか。



鳥を目の前にしてビビる気持ちはわかる。
だってあいつら意味わかんないし。美しすぎて。

鴨川とかに突然鳥がいるのめちゃくちゃびっくりするし、
なんなら突然近くにいるカラスもびっくりする。あれは畏怖に近い感情。
というか、「いいのかな・・・?」って思う。自分なんかが目撃してしまってもいいのだろうか?と。ドキドキして、思わず挨拶してしまう。
テレビや図鑑で見るのとは全く違う、目撃の質感。
道ばたで突然尊い。


話は飛ぶが、
筋肉を目の前にするとめちゃくちゃドキドキする。

女装した筋肉はよりいっそう、善い。
テレビや写真で筋肉を見ても特に何も思わないのだが、
目の前に筋肉があると8割増で興奮する。


博士は、2次元の幼女を画面で見る分には良いが
いざ目の前に3次元の幼女が現れると畏怖の対象になるそうだ
(これはちょっと違う意味だと思う)



目の前に来られた時の、畏怖や興奮。
存在の質感。リアリティ。立体感、奥行き。



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さいきん、ノーファインダーのかのうせいをかんじる・・・。

カメラ病の末期症状である可能性も高いが、疑いつついろいろ遊んでみようとおもう・・・
そういえば都写美でドアノー先輩の映画を見た。凄い良かった。次回書く。
阿呆面 | -- trackback |  0 comment

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自意識と、dead letterと、「やあ詩人!」 

図らずも、詠んでしまった恥ずかしさ・・・

「あっ・・・、また詠んじゃったぁ///」
「オマエ・・・詠みすぎ///」

IMG_0941_R.png


自意識というものはそもそもが過剰なものであって、
その分泌を抑える術が「大人」なのかもしれない。
自意識、自意識、自意識…ぶつぶつ…。(←最近の私のようす)

ほんとは、自我なんてどこにもなくて、
ただただ自意識があるだけなのかもしれないな。
不確かな自我を確かめようといっしょうけんめいになる。
と、自意識が過剰になり、他意識が欠如する。なるほど。

逆に他意識を分泌することで自己が鮮明になってくることも大いにある。
だから人は界隈に属し、ルールを守るのかもしれない。
 
界隈に属さずとも、なんらかの「理」をまもることは、自己を鮮明にする。

・・・
(途方もないことばの泉を目の当たりにして、汲み上げようかどうしようか逡巡している)

これについてはもう少し考えてみよう(宿題)





 
dead letter,
届けるつもりのない手紙、
自分の中で勝手に完結して終わる手紙。

届いてないのに、
書くだけ書いて、何かを言ったような気になるのは、良くないね。本当に良くない。
自意識過剰。






価値を産み出さなくてはならない。


我々は子供であった。
のうのうと、いけしゃあしゃあと、
金銭と引き換えの価値を享受して生きてきただけにすぎない、無知で無恥な子供であった。

私の生存のために、途方もない額の金銭が支払われていたということに、
愚鈍な私は無自覚であっただけだ。
コンビニで金銭と引き換えに肉まんを手に入れるのとおなじように、
金銭と引き換えに教育を受け、食事を頂き、娯楽を貪り、衣服を纏って生きてきた。
すべては親とご先祖と周りの大人の力である。
ひとつも偉くないので、えばってはいけないのだ!


大人になるということは、
まぁ、様々な側面によって語られる出来事だけれども、
養われる側から、養う側へ変わるということでもある。


それは、
価値を享受する側から、価値を産み出す側へ変わるということで、
大学生はどうやらその狭間にいるらしい。



価値を産み出さなくてはならない。



つまらない自己顕示は犬も食わない。
届かない手紙は白やぎさんしか食べない。



届く手紙を、
丁寧に、
良いモノを・・・作りたい。



自意識というある種の邪念を捨てよう・・・。


そしてお金を大事にしよう・・・。
(本当に良いと思ったものにだけお金を払おう・・・)



当たり前のことに気づくのが本当に遅いタイプの人間だな。
もっと賢くならねばね。


らんばだー。





はうはう、大槻ケンヂ先輩の、自意識への洞察・・・。はうぅ。



阿呆面 | -- trackback |  0 comment

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閾値の生き死に 

なんだっけ、んーと、そう、あれだ。ステレオグラム。立体視。

1024px-Asiatic_hybrid_lilium_stereogram_flipped.jpg

焦点を合わせずにぼやかして、
画像と自分の位置関係を少しずつずらしていくことで、
見えてたはずのものが見えなくなって、
見えないはずのものが見える。という錯視の一種。

盲点を使った遊びもよくあるよね、
ある図に焦点を合わせながら画像を少しずつずらしていくと、
ある一点でその図が見えなくなる、みたいなやつ。


視覚って結構ガバガバなシステムで、
それに頼り切ってる人間というのもまた、ガバガバな生き物なのだ。
(断言しちゃったよこの人は)



少しずつ少しずつずれていって、
ある一点で急に見えなくなる。
もしくは、急に見えるようになる。

そう、そこに、名前が付けられる。



アーなんかしんどいな・・・

風邪かな?コホッ

熱はかろ・・・

【37.0℃】

風邪やん!!!!!ゲホゲホォ!薬のも




オカンの破れたストッキングで遊ぶのが好きだった幼少期の俺

ガタンゴトン・・・あ、あの人のストッキング破れてる・・・ドキドキ・・・なんだろうこの気持ちは?

俺、破れストッキングフェチなのかも・・・?

バリバリィ (ズキュゥゥゥン)

俺、破れストッキングフェチだわ!!!

「破れ ストッキング フェチ」で検索

こんな世界があったのか・・・!(界隈との出会い)

ストッキングを破くだけのフェチビデオをひたすら集めはじめる






そこが認識の閾値だ。
(もっと良い例があったでしょうに)


恋も、生死も、そこがたまたま認識の閾値というだけで、
0と1のあいだにあるグラデーションは、
無数の宇宙空間であり、
ゆるやかにずれていくだけ。

そのグラデーションを詩的に記述するかどうかで、
君がアーティストなのかそうでないのかが決まる。







思考にもブームがあって、
どうやらそいつが堆積して沈殿して思想になるようなのだけど、
最近のマイブームは「ずれ」と「重力」だそうです。

ひとや、物事は、急に変わったりしません。
少しずつ少しずつ、重力に従ったり逆らったりしている内に、ずれていくだけです。

そして、閾値に、
ことばが、
システムが。

ずこーん。ああっ、強いっ。






ぜんぜん関係ないけどこの女の人、
他にもたくさん動画を上げてるんですけど
端々に執拗さが感じられてとても良いです。
 
こどものおもちゃを、ことごとく本来の使いみちから外してるのが、陵辱って感じがしてたまりません。


ららばーい。
乾燥 | -- trackback |  0 comment

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しづこころなく花の散るらむ (アーメン) 


神学の研究してるあんちゃんに聞いたところによると、
「アーメン」って、「せやな」みたいな意味らしいです。


ファイル_001


今年のクリスマスは、なんだか、とうめい感のある時間でした。
(「透明感」じゃなくて「とうめい感」なところがミソです。)

天気が良いとそれだけで心が強くなりますね。(アーメン)







24日は日本聖公会・聖アグネス教会の深夜聖餐会に参加させていただき、
キリストっちの誕生日をお祝いしてきました。おめ。
聖歌のメロディって、一度聞いたらすんごい耳にこびりつくなぁ、なぜなのだろう。
音階の方程式的なものがあるのだろうか。ん~気になる。

歌ったり、ひざまずいたり、イェスの血肉を食べてる人たちを指をくわえて見たりしてました。
洗礼を受けてない人がイエスの血肉をいただくと、呪われるらしいです。ひええ。
こないだ釜ヶ崎の礼拝で食べてしもたけど・・・

そのあと、前述の神学あんちゃんことハセさん宅で、
こっそりパンとぶどう酒をいただきました。



聖餐会を経ての所感。

えーと、こういう事書いても良いのかわかんないんですけど
(わたしに色々なことを教えてくださる宗教者の方々は、
いろいろ守るものがあるゆえに慎重にならざるを得ないみたいです。
わたしは守るものがなにもないのでうかつに書きます)

イェスさんってあくまで媒体っていうか、
神にアクセスする為のメディアなのだなぁ、という感想を持ちました。

不可視なものを見えるようにするための記号。
または、難解なコンピュータ言語を対人間用に翻訳するためのOS(オペレーションシステム)のようなもの。
ブッダがMacでキリストはWindowsみたいな?いや知らんけど。

何をもってメディアとするか、ってとこに関しては、
・人が社会を構成するために必要な共通言語
・発信者と受信者がいる
っていうので必要十分?
てゆかメディアっていうことばの射程範囲広すぎ。

これについてはもう少しじっくり考えてみます。
こういう視点で研究してる人や本、機関があったら教えていただけると幸いです。





イェスっちの誕生秘話としては、
マリアたんのお腹の中にいきなりイェスっちが宿って、
(いわゆる処女受胎。聖霊さんのしわざ)
婚約者のヨセフ氏は「おいマジかよ」ってなってすっごい悩んでたんだけど
そしたら主の天使が夢に出てきて、「心配しなくておk。そいつイェスだから。」って言われて
「よっしゃ!じゃあ産も!」ってなってこっそり産んだ、みたいな話らしく
(語弊しかない)

じゃあ結局のところ信仰の矛先ってどこなの?
イェスさまなの?マリアさまなの?その向こうにいる神さまなの?
てか、主って誰やねん。聖霊ってなんやねん。
とハセさんに聞いた所、「三位一体」というワードが返ってきました。聞いた事あるやつだ。

要は、【主=神さま(父)=イェス(子)=聖霊】 
これらがすべてイコールの未分化な存在ということらしい。
氷=水=水蒸気 みたいなものかな。
いろんな解釈があって、それによって流派も分かれているみたい。
なかなか咀嚼しづらい概念だし、飲み込みづらいことなのだろう。

こういうのは、信仰をもってして、全毛穴から吸収していくものなのかもしれない。
理屈を踏まえて、理屈を超えていく感じ?
儀式を通じて自分の肉体と一体化させていく感じだろうか。


(↑推測でしか喋れないので、語尾が全部ほやっとしている所がおもしろポイント)


ファイル_000 (3)


ハセさんの信仰の形はとても透明感があって良いなぁと思った。
空気のように存在する信仰。客観性を保ちながら、ともに生きる感じ。

宗教は、
説明のつかないことや、釈然としないこと、納得できないことたちを受け止めるための、
セーフティーネットのようなもの、と仰っていた。

「社会」からこぼれ落ちたものを受け止める網。


ファイル_000 (2)


そう思うと、宗教は、社会でありながら、社会でないのかもしれない。

わたしは、「あらゆるコミュニティーは宗教である」というのを
ひとつのスローガンにしていたけれど、
もう少しことばを解剖してじっくり考える必要があるなぁ。

んー嬉しい。
じっくり考える材料があるのは、うれしいことだ・・・
ハッピー卍卍卍





そのままハセさん宅に泊めていただき、ふかふかの布団でぐっすり眠った。
核シェルターみたいなお家で居心地がよかった。
のどごしさわやか、スーパードライな優しさを感じました。ありがとうございます。





25日の朝は、てくてく歩きながらもぞもぞ考えていた。

もっともらしいことは、いくらでも言える。
納得させる理屈はどうにでも作れる。
どうやらこの世には、にせものが蔓延している。

有象無象の中で、
どっからどこまでを自分の納得ラインとして定めるか、によって、その人の輪郭が決まる。
だいじなことは、だれかに自分の輪郭を決められないことだ。選ばされないことだ。

相手から受信したものを、嘘とするか、本当とするかは、自分が決めること。

逆に、自分が発信したものを、嘘とするか、本当とするかは、相手が決めること。

なのかも。しれない。しらんけど。

嘘なのか本当なのかっていうのは実は大した問題じゃなくて、
「求められるものに支配されない」こと、
そんでもって、「求めない」こと、かなぁ。


ふふふーん。ふーん。(あっこれは鼻歌ですね。特に関係ないです)





ところで『ジーザス・クライスト=スーパースター』はミュージカルなんですけど
まずタイトルがかっこいいし、曲もかっこいいし、結構人間臭くて笑えるのでおすすめです。


えっと、いまどうやら月に一度の感度ビンビンWeekなので、
いくらでも書きたいことが湧いてくる状態です。
まだまだ書けそうなんですが尿意が募ってきたので終わります。アーメン。

上澄み | -- trackback |  0 comment

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阿鼻ィ叫喚ロード 

冬至なので、かぼちゃを炊いてゆず湯に入った。
ゆず大根のお漬物もつくった。
 
なんとなく、粛々とした気分だったので。
 
冬至は、なんとなく大事な気がして、ささやかながら毎年お迎えしている。
というのも、わたしは夏至に生まれたから。
名前に夏が入っているのはその為だ、という説もまことしやかに囁かれているくらいだから、
この節目はとても大事な感じがする。
 
冬に至る・・・
 
至らないところばかりなので、少しでも至れるようにと、願掛けの気持ちで・・・
というのは後付けの小理屈だけど。
やっぱさー儀式って大事よねー

 



うまく歯車が噛み合わない日々が続いている。

わたしはどうやらあまり賢くないらしく、たくさんのことを処理しようとするとブレーカーが落ちてしまうことがある。
それから、過度の緊張が訪れるとヒューズが飛んでしまうらしい。
ひとつの線がぷつっと切れると、もう、頭がまっしろになってしまう。
全ての言葉は意味を失い、瓦解した状況のなかに自我の輪郭だけが浮遊する。

ちゃんとしなければ、と思えば思うほど、足を取られる。

それよりも先に、自分の身を守ろうとする卑しい気持ちがあるから、
いち早くブレーカーを落としてしまうのかもしれない。
恥ずかしいなぁ。
 
落ち着いて、集中できれば、きっと、なんのことはないのに。

なんだかテンパってしまっている。精彩に欠ける日々。
精彩、ニアリーイコール、自信、かな。(詠嘆) 
もう、2016年はそういう年なのだと開き直って、
ただただ冬が過ぎ去るのを待つような気持ちでいる。
 
盲信も、不信も、憑き物だから。
 
自分に取り憑いた不信は、絡まって、無理にほどこうとすると余計にもつれる。
すこしずつ、ひとつずつほどいていくしかない。

ゆずの香りは良い・・・。





友人とジュラシック・パークを観た。

阿鼻叫喚だった。(わたしが)
久々にフルスロットルで興奮したのでとてもつかれた・・・。
ジェフがとても良かった。

すごいな。もう、なんていうか、際限ない。スリルが。
照明や音響の扱い方がすごく秀逸で、狂気じみてると思った。
だいたい、映画なんて狂気じみてないと作れないだろうなとつくづく思う。

なにより大人たちがグダグダしているところの描写がもう絶妙で、素晴らしかった。
システムの根幹を揺るがすようなイレギュラーが発生しているにも関わらず、
すでに決まってる事(やりたい事)を押し通そうとすると、大体がうまくいかないんだろうなと思う。
大人の映画だなぁと思った。
 
テーマパークにおけるアトラクションの、「大丈夫なんかいなこれ」感の表現がリアルだった。

後半、ジェフがずっと乳首を見せつけてきたので、なんとか精神の安定を保つことができた。



良い映画は、ひとの「油断」をうまく描き出しているものが多いなぁ。
すごく難しいことだと思う。ものすごい厳密さが必要。



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うまくいかないことは多いけど、
なんとゆーか、
人のせいにすることだけは、しないように、気をつけようと思います・・・。ふうぅー。
粛々。



あと一週間・・・まいにちを祈る・・・。





 
阿呆面 | -- trackback |  0 comment

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