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そういう時期だから

まことしやかに囁いてよアレを

閾値の生き死に 

なんだっけ、んーと、そう、あれだ。ステレオグラム。立体視。

1024px-Asiatic_hybrid_lilium_stereogram_flipped.jpg

焦点を合わせずにぼやかして、
画像と自分の位置関係を少しずつずらしていくことで、
見えてたはずのものが見えなくなって、
見えないはずのものが見える。という錯視の一種。

盲点を使った遊びもよくあるよね、
ある図に焦点を合わせながら画像を少しずつずらしていくと、
ある一点でその図が見えなくなる、みたいなやつ。


視覚って結構ガバガバなシステムで、
それに頼り切ってる人間というのもまた、ガバガバな生き物なのだ。
(断言しちゃったよこの人は)



少しずつ少しずつずれていって、
ある一点で急に見えなくなる。
もしくは、急に見えるようになる。

そう、そこに、名前が付けられる。



アーなんかしんどいな・・・

風邪かな?コホッ

熱はかろ・・・

【37.0℃】

風邪やん!!!!!ゲホゲホォ!薬のも




オカンの破れたストッキングで遊ぶのが好きだった幼少期の俺

ガタンゴトン・・・あ、あの人のストッキング破れてる・・・ドキドキ・・・なんだろうこの気持ちは?

俺、破れストッキングフェチなのかも・・・?

バリバリィ (ズキュゥゥゥン)

俺、破れストッキングフェチだわ!!!

「破れ ストッキング フェチ」で検索

こんな世界があったのか・・・!(界隈との出会い)

ストッキングを破くだけのフェチビデオをひたすら集めはじめる






そこが認識の閾値だ。
(もっと良い例があったでしょうに)


恋も、生死も、そこがたまたま認識の閾値というだけで、
0と1のあいだにあるグラデーションは、
無数の宇宙空間であり、
ゆるやかにずれていくだけ。

そのグラデーションを詩的に記述するかどうかで、
君がアーティストなのかそうでないのかが決まる。







思考にもブームがあって、
どうやらそいつが堆積して沈殿して思想になるようなのだけど、
最近のマイブームは「ずれ」と「重力」だそうです。

ひとや、物事は、急に変わったりしません。
少しずつ少しずつ、重力に従ったり逆らったりしている内に、ずれていくだけです。

そして、閾値に、
ことばが、
システムが。

ずこーん。ああっ、強いっ。






ぜんぜん関係ないけどこの女の人、
他にもたくさん動画を上げてるんですけど
端々に執拗さが感じられてとても良いです。
 
こどものおもちゃを、ことごとく本来の使いみちから外してるのが、陵辱って感じがしてたまりません。


ららばーい。
乾燥 | -- trackback |  0 comment

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しづこころなく花の散るらむ (アーメン) 


神学の研究してるあんちゃんに聞いたところによると、
「アーメン」って、「せやな」みたいな意味らしいです。


ファイル_001


今年のクリスマスは、なんだか、とうめい感のある時間でした。
(「透明感」じゃなくて「とうめい感」なところがミソです。)

天気が良いとそれだけで心が強くなりますね。(アーメン)







24日は日本聖公会・聖アグネス教会の深夜聖餐会に参加させていただき、
キリストっちの誕生日をお祝いしてきました。おめ。
聖歌のメロディって、一度聞いたらすんごい耳にこびりつくなぁ、なぜなのだろう。
音階の方程式的なものがあるのだろうか。ん~気になる。

歌ったり、ひざまずいたり、イェスの血肉を食べてる人たちを指をくわえて見たりしてました。
洗礼を受けてない人がイエスの血肉をいただくと、呪われるらしいです。ひええ。
こないだ釜ヶ崎の礼拝で食べてしもたけど・・・

そのあと、前述の神学あんちゃんことハセさん宅で、
こっそりパンとぶどう酒をいただきました。



聖餐会を経ての所感。

えーと、こういう事書いても良いのかわかんないんですけど
(わたしに色々なことを教えてくださる宗教者の方々は、
いろいろ守るものがあるゆえに慎重にならざるを得ないみたいです。
わたしは守るものがなにもないのでうかつに書きます)

イェスさんってあくまで媒体っていうか、
神にアクセスする為のメディアなのだなぁ、という感想を持ちました。

不可視なものを見えるようにするための記号。
または、難解なコンピュータ言語を対人間用に翻訳するためのOS(オペレーションシステム)のようなもの。
ブッダがMacでキリストはWindowsみたいな?いや知らんけど。

何をもってメディアとするか、ってとこに関しては、
・人が社会を構成するために必要な共通言語
・発信者と受信者がいる
っていうので必要十分?
てゆかメディアっていうことばの射程範囲広すぎ。

これについてはもう少しじっくり考えてみます。
こういう視点で研究してる人や本、機関があったら教えていただけると幸いです。





イェスっちの誕生秘話としては、
マリアたんのお腹の中にいきなりイェスっちが宿って、
(いわゆる処女受胎。聖霊さんのしわざ)
婚約者のヨセフ氏は「おいマジかよ」ってなってすっごい悩んでたんだけど
そしたら主の天使が夢に出てきて、「心配しなくておk。そいつイェスだから。」って言われて
「よっしゃ!じゃあ産も!」ってなってこっそり産んだ、みたいな話らしく
(語弊しかない)

じゃあ結局のところ信仰の矛先ってどこなの?
イェスさまなの?マリアさまなの?その向こうにいる神さまなの?
てか、主って誰やねん。聖霊ってなんやねん。
とハセさんに聞いた所、「三位一体」というワードが返ってきました。聞いた事あるやつだ。

要は、【主=神さま(父)=イェス(子)=聖霊】 
これらがすべてイコールの未分化な存在ということらしい。
氷=水=水蒸気 みたいなものかな。
いろんな解釈があって、それによって流派も分かれているみたい。
なかなか咀嚼しづらい概念だし、飲み込みづらいことなのだろう。

こういうのは、信仰をもってして、全毛穴から吸収していくものなのかもしれない。
理屈を踏まえて、理屈を超えていく感じ?
儀式を通じて自分の肉体と一体化させていく感じだろうか。


(↑推測でしか喋れないので、語尾が全部ほやっとしている所がおもしろポイント)


ファイル_000 (3)


ハセさんの信仰の形はとても透明感があって良いなぁと思った。
空気のように存在する信仰。客観性を保ちながら、ともに生きる感じ。

宗教は、
説明のつかないことや、釈然としないこと、納得できないことたちを受け止めるための、
セーフティーネットのようなもの、と仰っていた。

「社会」からこぼれ落ちたものを受け止める網。


ファイル_000 (2)


そう思うと、宗教は、社会でありながら、社会でないのかもしれない。

わたしは、「あらゆるコミュニティーは宗教である」というのを
ひとつのスローガンにしていたけれど、
もう少しことばを解剖してじっくり考える必要があるなぁ。

んー嬉しい。
じっくり考える材料があるのは、うれしいことだ・・・
ハッピー卍卍卍





そのままハセさん宅に泊めていただき、ふかふかの布団でぐっすり眠った。
核シェルターみたいなお家で居心地がよかった。
のどごしさわやか、スーパードライな優しさを感じました。ありがとうございます。





25日の朝は、てくてく歩きながらもぞもぞ考えていた。

もっともらしいことは、いくらでも言える。
納得させる理屈はどうにでも作れる。
どうやらこの世には、にせものが蔓延している。

有象無象の中で、
どっからどこまでを自分の納得ラインとして定めるか、によって、その人の輪郭が決まる。
だいじなことは、だれかに自分の輪郭を決められないことだ。選ばされないことだ。

相手から受信したものを、嘘とするか、本当とするかは、自分が決めること。

逆に、自分が発信したものを、嘘とするか、本当とするかは、相手が決めること。

なのかも。しれない。しらんけど。

嘘なのか本当なのかっていうのは実は大した問題じゃなくて、
「求められるものに支配されない」こと、
そんでもって、「求めない」こと、かなぁ。


ふふふーん。ふーん。(あっこれは鼻歌ですね。特に関係ないです)





ところで『ジーザス・クライスト=スーパースター』はミュージカルなんですけど
まずタイトルがかっこいいし、曲もかっこいいし、結構人間臭くて笑えるのでおすすめです。


えっと、いまどうやら月に一度の感度ビンビンWeekなので、
いくらでも書きたいことが湧いてくる状態です。
まだまだ書けそうなんですが尿意が募ってきたので終わります。アーメン。

上澄み | -- trackback |  0 comment

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阿鼻ィ叫喚ロード 

冬至なので、かぼちゃを炊いてゆず湯に入った。
ゆず大根のお漬物もつくった。
 
なんとなく、粛々とした気分だったので。
 
冬至は、なんとなく大事な気がして、ささやかながら毎年お迎えしている。
というのも、わたしは夏至に生まれたから。
名前に夏が入っているのはその為だ、という説もまことしやかに囁かれているくらいだから、
この節目はとても大事な感じがする。
 
冬に至る・・・
 
至らないところばかりなので、少しでも至れるようにと、願掛けの気持ちで・・・
というのは後付けの小理屈だけど。
やっぱさー儀式って大事よねー

 



うまく歯車が噛み合わない日々が続いている。

わたしはどうやらあまり賢くないらしく、たくさんのことを処理しようとするとブレーカーが落ちてしまうことがある。
それから、過度の緊張が訪れるとヒューズが飛んでしまうらしい。
ひとつの線がぷつっと切れると、もう、頭がまっしろになってしまう。
全ての言葉は意味を失い、瓦解した状況のなかに自我の輪郭だけが浮遊する。

ちゃんとしなければ、と思えば思うほど、足を取られる。

それよりも先に、自分の身を守ろうとする卑しい気持ちがあるから、
いち早くブレーカーを落としてしまうのかもしれない。
恥ずかしいなぁ。
 
落ち着いて、集中できれば、きっと、なんのことはないのに。

なんだかテンパってしまっている。精彩に欠ける日々。
精彩、ニアリーイコール、自信、かな。(詠嘆) 
もう、2016年はそういう年なのだと開き直って、
ただただ冬が過ぎ去るのを待つような気持ちでいる。
 
盲信も、不信も、憑き物だから。
 
自分に取り憑いた不信は、絡まって、無理にほどこうとすると余計にもつれる。
すこしずつ、ひとつずつほどいていくしかない。

ゆずの香りは良い・・・。





友人とジュラシック・パークを観た。

阿鼻叫喚だった。(わたしが)
久々にフルスロットルで興奮したのでとてもつかれた・・・。
ジェフがとても良かった。

すごいな。もう、なんていうか、際限ない。スリルが。
照明や音響の扱い方がすごく秀逸で、狂気じみてると思った。
だいたい、映画なんて狂気じみてないと作れないだろうなとつくづく思う。

なにより大人たちがグダグダしているところの描写がもう絶妙で、素晴らしかった。
システムの根幹を揺るがすようなイレギュラーが発生しているにも関わらず、
すでに決まってる事(やりたい事)を押し通そうとすると、大体がうまくいかないんだろうなと思う。
大人の映画だなぁと思った。
 
テーマパークにおけるアトラクションの、「大丈夫なんかいなこれ」感の表現がリアルだった。

後半、ジェフがずっと乳首を見せつけてきたので、なんとか精神の安定を保つことができた。



良い映画は、ひとの「油断」をうまく描き出しているものが多いなぁ。
すごく難しいことだと思う。ものすごい厳密さが必要。



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うまくいかないことは多いけど、
なんとゆーか、
人のせいにすることだけは、しないように、気をつけようと思います・・・。ふうぅー。
粛々。



あと一週間・・・まいにちを祈る・・・。





 
阿呆面 | -- trackback |  0 comment

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政治と恋と宗教に寄せて 

冬ですね!サラリーマンがコートを羽織る季節になりました。
スーツにコート、好きなんで、うれしいです。
スーツにリュック姿は好きじゃないです(個人の感想です。)

ぱりっとスーツ着るだけで「良さ」があるから男の人はずるいですね。
女の人のスーツ姿はあんまり好きじゃないです(個人の感想です。)




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最近は専ら、2017年のすごしかたについて考えているのですが、
もう、何につけてもわくわくしています。

にくそん卒業したらどうすんの?と会う人会う人に聞かれまくり、
言を重ねるごとに色濃くなってきたのでここらでひとつ、
明文化して整理しておくことにします。




えと、具体的なところからいきますと、
受験生になります。

お勉強しながら働いて100万貯金して、どっかの大学院に参ります。
生物学か宗教学か数理論理学か政治学か、、
要は、抽象的なところから具体的なところまで、
ひろく『組織の構造』について知りたいのだと思います。


大学生などというものは、
お金を払って教育サービスを受けているだけの社会的弱者に過ぎませんので、
安易に「モラトリアム」で片付けるのはやめたほうが身のためだなぁ、という考えにこの間至りました。
学ばない大学生は、井の中の蛙どころか、池の中の鯉みたいなものだなと。
蛙はいいよ、まだ、上に行こうとするエネルギーがあるから。


いまの私は小さな蛙なので、ただただもうひたすらに勉強したい!!!!!!!ハァハァ
それだけでごわす。

どこの大学っていうのは、春には照準を定めるつもりですが、
とりあえず気の合う師匠のいるところに行けたらいいなぁと・・・。
アカデミック界隈は権威の世界であるというような印象があるので、
ジャンルにこだわらない好奇心旺盛でやわらかい大人のひとと一緒にすごせたらいいな…。



▼抽象度+20%


やりたいことの軸足を定めるならば、おそらく、
ひとの『どーしよーもなさ』、に興味があるのだと思いました。

人の、間違うこと。重力に負けること。思い込み。
それを記述する文法は様々に、様々なレイヤーに存在しています。
それらをひとつひとつ噛み砕いて、『翻訳』していきたいのだと、思います。


り、李徴っ・・・My sweet soul human.


んで、その文法たちを、最終的には『界隈論』のようなもので体系化できたらと思っていて、
宗教に限らず、あらゆるコミュニティ(界隈)に存在する力学を、
わたしのことばで記述できたらと思っています。
それはひょっとしたら、スケッチかもしれないし、演劇の台本かもしれないし、木彫かもしれないし、似顔絵かもしれません。
(とりあえず、喋るのが得意ではないということだけははっきりしました。)





▼抽象度+40%


来年は、何かに追われる毎日ではなく、何かを追いかける毎日にしたいと思っています。


いままで、どれだけの事を自分で選んできたんだろう?
意外と、知らず知らずのうちに、選ばされていることは多い。
手近にある選択肢をさわって、選んだような気になっていることも多い。

京都芸大に来たのは、彫刻専攻に来たのは、
選んだことなのか?選ばされたことなのか?

粘土をこねる。
これは作っている形なのか、作らされている形なのか?

おそらく、どちらでもある。

環境や空気の影響もあるが、
過去の自分が私にそうさせた、という言い方もできるだろう。
選ばされたことには、追われてしまう。


重要なのは、その時その時で、その選択に対して「納得」できているかどうか。


その確かさが、一手の精彩を決めるのである。




2016年は、もう、追われ続けていた・・・。
そしてなんとも精彩に欠ける一年であり、
自信、について考え続ける一年でした。
自信。自分への信仰。



信じる、ということの背後になにがあるのか・・・知りたくてたまりません。



知ることは、うれしい。たのしい。ありがたい。



名前に「知」という字を入れてくれた親に感謝極まりない限りです。




▼抽象度+247%

   @  @
◎,◯///゜+<<◯゜●◎◯
   .◯C◯◯O◯CC
     {[[[{{{[[{[[[[[{
  ◯ O◯  C





▼具体度+307%


とりあえず卒制がんばります。

前々からやりたいこととして言っていた、
国会ファシグラと、宗教つまみ食い企画が今すこし形が見えつつあるので固めてまいりますね。



さて・・・どこに住もうかしら~



乾燥 | -- trackback |  0 comment

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ごまかしません、克つまでは 

実家の平たいふとんで目を覚ましたしゅんかん、すごいことに気がついてしまった。 かもしれない。
薄暗い部屋、もっ、とした空気に体は汗ばんで、
向こうのほうでわんわん蝉が鳴いていて、扇風機の風がそれらをぼーっとかきまぜている。

日々の沈殿の、結晶化された気づきというのは、ほんとうに何の事はない、ふっと気を緩めた瞬間に降って湧いてくるからびびる。
これは、けっこう、大切な、核心にちかいことだと思うので、丁寧にメモっておこうと思う。



すべてのことばは、自分のためにあるのではない。



私はこれまで、ことばを、自分のために使っていた。

だから、いつでもどこか意地汚く、矮小で、ごまかしに満ちていたのだ。


だから、あんなに優しい人達を、わたしは簡単に裏切ってしまえたのだ。


申し訳ない。ほんとうに思ってる?
もうしません。嘘おっしゃい。
恥ずかしい。・・・それって、自分のために言っているのでは?

自分を守るためだけのことば。
相手に届かせる気のないことば。
思いやりに欠けたことば。

もっともらしいことばを並べて、満足しているだけ。


だから、自分の言葉に責任が持てないのだ。



やさしい人になるために、大学に来たのだ、わたしは。
私の周りには、びっくりするくらいやさしい人が、たくさんいる。

ちゃんとしよう、ちゃんと。少しずつ、ひとつずつ。


きっとこんなことはあたりまえのことで、
普通に生きてる人はわざわざ言葉にするようなことでもないのだろう。
厚顔無恥の知、無知の血、むちむち・・・


ありがたいことばかりだ・・・






母のポテトサラダはおいしかった。
最近ほんとうに適当なものばかり食べていた。
いや、適当にものを食べていた。

ちゃんとしよう、ちゃんと・・・



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どうでもいいけど、「美味しい」と書いて「おいしい」と読ませる神経を疑ってしまう。びみしい。



 
上澄み | -- trackback |  0 comment

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