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そういう時期だから

まことしやかに囁いてよアレを

自意識と、dead letterと、「やあ詩人!」 

図らずも、詠んでしまった恥ずかしさ・・・

「あっ・・・、また詠んじゃったぁ///」
「オマエ・・・詠みすぎ///」

IMG_0941_R.png


自意識というものはそもそもが過剰なものであって、
その分泌を抑える術が「大人」なのかもしれない。
自意識、自意識、自意識…ぶつぶつ…。(←最近の私のようす)

ほんとは、自我なんてどこにもなくて、
ただただ自意識があるだけなのかもしれないな。
不確かな自我を確かめようといっしょうけんめいになる。
と、自意識が過剰になり、他意識が欠如する。なるほど。

逆に他意識を分泌することで自己が鮮明になってくることも大いにある。
だから人は界隈に属し、ルールを守るのかもしれない。
 
界隈に属さずとも、なんらかの「理」をまもることは、自己を鮮明にする。

・・・
(途方もないことばの泉を目の当たりにして、汲み上げようかどうしようか逡巡している)

これについてはもう少し考えてみよう(宿題)





 
dead letter,
届けるつもりのない手紙、
自分の中で勝手に完結して終わる手紙。

届いてないのに、
書くだけ書いて、何かを言ったような気になるのは、良くないね。本当に良くない。
自意識過剰。






価値を産み出さなくてはならない。


我々は子供であった。
のうのうと、いけしゃあしゃあと、
金銭と引き換えの価値を享受して生きてきただけにすぎない、無知で無恥な子供であった。

私の生存のために、途方もない額の金銭が支払われていたということに、
愚鈍な私は無自覚であっただけだ。
コンビニで金銭と引き換えに肉まんを手に入れるのとおなじように、
金銭と引き換えに教育を受け、食事を頂き、娯楽を貪り、衣服を纏って生きてきた。
すべては親とご先祖と周りの大人の力である。
ひとつも偉くないので、えばってはいけないのだ!


大人になるということは、
まぁ、様々な側面によって語られる出来事だけれども、
養われる側から、養う側へ変わるということでもある。


それは、
価値を享受する側から、価値を産み出す側へ変わるということで、
大学生はどうやらその狭間にいるらしい。



価値を産み出さなくてはならない。



つまらない自己顕示は犬も食わない。
届かない手紙は白やぎさんしか食べない。



届く手紙を、
丁寧に、
良いモノを・・・作りたい。



自意識というある種の邪念を捨てよう・・・。


そしてお金を大事にしよう・・・。
(本当に良いと思ったものにだけお金を払おう・・・)



当たり前のことに気づくのが本当に遅いタイプの人間だな。
もっと賢くならねばね。


らんばだー。





はうはう、大槻ケンヂ先輩の、自意識への洞察・・・。はうぅ。



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阿呆面 | -- trackback |  0 comment

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閾値の生き死に 

なんだっけ、んーと、そう、あれだ。ステレオグラム。立体視。

1024px-Asiatic_hybrid_lilium_stereogram_flipped.jpg

焦点を合わせずにぼやかして、
画像と自分の位置関係を少しずつずらしていくことで、
見えてたはずのものが見えなくなって、
見えないはずのものが見える。という錯視の一種。

盲点を使った遊びもよくあるよね、
ある図に焦点を合わせながら画像を少しずつずらしていくと、
ある一点でその図が見えなくなる、みたいなやつ。


視覚って結構ガバガバなシステムで、
それに頼り切ってる人間というのもまた、ガバガバな生き物なのだ。
(断言しちゃったよこの人は)



少しずつ少しずつずれていって、
ある一点で急に見えなくなる。
もしくは、急に見えるようになる。

そう、そこに、名前が付けられる。



アーなんかしんどいな・・・

風邪かな?コホッ

熱はかろ・・・

【37.0℃】

風邪やん!!!!!ゲホゲホォ!薬のも




オカンの破れたストッキングで遊ぶのが好きだった幼少期の俺

ガタンゴトン・・・あ、あの人のストッキング破れてる・・・ドキドキ・・・なんだろうこの気持ちは?

俺、破れストッキングフェチなのかも・・・?

バリバリィ (ズキュゥゥゥン)

俺、破れストッキングフェチだわ!!!

「破れ ストッキング フェチ」で検索

こんな世界があったのか・・・!(界隈との出会い)

ストッキングを破くだけのフェチビデオをひたすら集めはじめる






そこが認識の閾値だ。
(もっと良い例があったでしょうに)


恋も、生死も、そこがたまたま認識の閾値というだけで、
0と1のあいだにあるグラデーションは、
無数の宇宙空間であり、
ゆるやかにずれていくだけ。

そのグラデーションを詩的に記述するかどうかで、
君がアーティストなのかそうでないのかが決まる。







思考にもブームがあって、
どうやらそいつが堆積して沈殿して思想になるようなのだけど、
最近のマイブームは「ずれ」と「重力」だそうです。

ひとや、物事は、急に変わったりしません。
少しずつ少しずつ、重力に従ったり逆らったりしている内に、ずれていくだけです。

そして、閾値に、
ことばが、
システムが。

ずこーん。ああっ、強いっ。






ぜんぜん関係ないけどこの女の人、
他にもたくさん動画を上げてるんですけど
端々に執拗さが感じられてとても良いです。
 
こどものおもちゃを、ことごとく本来の使いみちから外してるのが、陵辱って感じがしてたまりません。


ららばーい。
乾燥 | -- trackback |  0 comment

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