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そういう時期だから

まことしやかに囁いてよアレを

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手汗のにぎり(時価) 


一ヶ月に一度ほど台所が劇的な状態になります。

一ヶ月にだいたい二週間ほど気分が落ち込む時期があるので、
その二週間の生活は怠惰そのものとなるのですが
わたしは食べものが腐りゆくさまをエヘヘ・・・エヘヘ・・・と見ています。



今回のラインナップはこちら!!


①ゲロにんじん

②バナナきゅうり

③KABI SEA



①・・・しあしあになったにんじんは、水につけておくと復活する、という情報を手に入れ、
水につけたはいいが、そのまま忘れていた。にんじんが溶け出してゲロの様相を呈していた。

②・・・きゅうりが一本余ったのでなんとなくタッパーに入れて流しに置きっぱなしにしていた。
食器を洗う度、彼の色が変わっていくのが面白くて見ていたが、きょう触ったらバナナになっていた。

③・・・風邪引いてた時につくった大根飴だがつくった直後に風邪が治ってしまったので、
処分するのもめんどくさいし食べるモチベーションもなかったのでタッパーの蓋を閉めとりあえず靴箱に収納。
空けたら緑の海がたぷんたぷん波打っていて私は「アァア・・・ウアァッ・・・!」とか言いながらトイレに捨てた。



食べ物が腐っていくのを見るのはたのしいです。
かつて食べ物だった物、だれが「食べ」物だと決めた?

要するに!ただの!!クズ!!!!!!!!!!!!!!



どうしようもないものが好きな、どうしようもない自分が好きという、どうしようもなさ・・・

もうどうしようもない。



自分を卑下することの中毒性と快楽性について。
ルソーちゃぁああん!
あっあっあはっはあん。



image1 (10)



時間を削る、ていう言い方しちゃったら、
なにかに負ける気がするんだ。なににかは分からんけど。

時間って削れるもんじゃないと思うんだよ。笑


それだったら、まだ、命を削るっていう言い方のほうが正しいと思う。



これはなんというか感覚の世界での話だけど
たぶん、「なにを無駄とするか」っていうとこなんだろうね。

「時間を削る」っていう言い方をする時、
そこには「無駄な時間を過ごす」っていうニュアンスが含まれていると思うんだけど、

いや、無駄って言ったらぜんぶ無駄なんだってば・・・。笑


将棋も美術もスキーも学問も、
「わざわざ」やってることでしかなくてね、

わざわざ、高い山昇って、わざわざ、足に枷つけて、わざわざ、怖い思いして、
でも、それ以上になにか得るものがあるからやってるという・・・



この世で最も不完全な生き物である人間だけが、
限界に挑戦する権利を得た。

と、こう書くと、なんだか人間中心主義のようで嫌な感じもするが、
なんともロマンがあってそそられるじゃあないかあ。



自らの不完全さを埋めるために、
自分の中の「正しさ」を信仰し、余計な情報を削ぎ落とすことでなにかを得る。
それはある側面では思考停止なのだけど、ある側面では創造の発端なのだ。



それぞれの思う正しさや、それぞれの思考停止するポイントは違うから、
他人のやってる行為や、他人と共有した時間を
「無駄だ」と評価することはとってもナンセンスなのである。



チャリ乗って坂道下りながらよくよく考えたらまじでキチガイなことしてるなと思った
自転車ってよくよく考えたら意味がわからない。


この世はすべて制御と拡張・・・。



対立概念の摩擦する輪郭線上にわたしたちは存在する。



image2 (6)



20年間生きてきたが、人と喋るのが得意だと思ったことは一度もない。
基本的に苦手だし、怖いんやで。

手元にスケッチブックとペンがないと狼狽えてしまう。
決まった役割を演じていないと頭が真っ白になる。
キーボードを叩いてゆっくり自分の言葉を書いている時がいちばん安心する。

ああ恥ずかしいなあ。



考えてることに言葉が追いつかなくてこまるね、いやはや。
まぁ、漏れ出るものが全てということで、War is over.



では今から学校に丸太を彫りに行って来ます。

しーゆーねくすとたいむ。愛しています。
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生活 | -- trackback |  1 comment

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昼間っからできあがってる 


鼻が詰まっている。

からだの、皮膚の、内側が、
なんだかもじゃもじゃと奇妙な音をたてているのがわかる。

要するに風邪を引いているらしいが、それ自体は特に問題ではないよ。



月々4万8千円と引き換えに借りている箱の中では

布だの紙だの本だの写真だのが

ぶくぶくぶくぶくぶくぶく   ぶくぶく
ぶく   ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく
ぶくぶくぶく   ぶくぶくぶくぶくぶく
ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶ   くぶく

泡立っていて、

なんとなく生活がままならないのは、
そいつらがベッドの上まで侵食してきているせいで。
泡立つ、じょーほー、押しのけて、どうにか寝るスペース確保して。

ベッドから足がはみ出るが特に問題ではない。



机の上の花はカピカピに枯れきってる。


窓から曇り空がはみ出てる。



わたしオンザ掛け布団、のっしと沈み込んで、なんとなく洗濯バサミとか見ている。

ラジカセからは憂歌団とか真心ブラザーズとかtheピーズとかを流す。
これが最高に心地良い。



自分に酔っているだけだと言われればそれまでだが、
事実、自分に酔っているだけなのであります。



世界は意外とクズにやさしい、
いや、クズがいるから世界はやさしい。
クズ的要素を排除しようとすれば、とっても住みづらくなってしまうだろう。

駄目な自分を認める、とかいうと急にもんのっすごく陳腐なメッセージになってしまうが
いや、ほんとはみんなクズでしょ?って。
まずは不完全さを認めないと!なにも始まらない。



生暖かい人間関係は、ちょっと苦手だ。
生ぬるい人間関係は、なんか好きだ。



どう違うかというと

生暖かいのは、人肌くらいの温度。
お互いを認め合ったり、わかちあったり、褒めあったりするやつ。
そやって、生きてるよね?私生きてるよね?ってお互いに確認する。

汗ばむから、しょっぱい。



対して
生ぬるいってのは、なんかもうギリギリ生きてるくらいの温度。
ほぼ死体に近い。

お互いの存在を超えたところで話をする。
例えば世界の美しさや醜さなどについて。

というのも、自分が生きてるなんてのは、じつは自惚れにすぎないかもねって。
「毎瞬間に、生きながらにして死んでいる」か、もしくは、
「基本的に死んでてたまたま生きている」かの
どっちかじゃないかと私はにらんでいるのだが

たぶん、謙虚なのが好きなんだろうなあ。   (お、虚という漢字が含まれているぞ・・・)



思えば、ぬるい油のような人生だ。
たまーーに火が点いて、すごい頑張る。
水の集まりに飛び込むとどうしても浮いちゃう。
ときどき潤滑油にもなったりする。

基本的にはぬるいのさ。
(ま、そのへんは人それぞれだと思うんだよ)




すこし話を巻き戻しまして、
自分に酔う、ということについて。

自己愛に基づく破滅願望。


どうやら痛みとか苦しみとか悩みとかストレスが、自己の存在を正確なものにするっぽい。

正確、正しく確か。
残念ながらそんなものは存在しないので、朦朧、妄想です。



噛み砕いて言うと、
「痛い」という強い感情に乗っかることで、自己認識を正当化することができると。


もっと噛み砕いて言うならば、
「痛い」という言葉のなかに、
「こんなに痛い思いをしているんだから、それ相応の見返りがあって当然だ」
というような主張が暗黙のうちに含まれている。

見返りを求め、主張するという行為自体、
自分の中に圧倒的な「正しさ」の自覚がなければできない。
相対的に正しさを保証する「契約」がないならば、
およそ正常な精神状態でできることではない。

だからある意味「異常」な位置に自分を置くことが必要になる。
それが、自分に酔って酔って、ヨッパライになっちまうということで。

まぁ、逃げ道でしかないんだけどね。笑



IMG_0356.jpg



余談だけど、(まぁ、全部余談だけど)
最近気づいたことで、私はどうやら「人にはさまれる」ことが苦手らしい。

教室で座る席は一番前か一番後ろが良い。
バスに乗るときは、できることなら一番前か一番後ろにしか座りたくない。

前にも後ろにも人の気配がするなんて、そんな居心地の悪いことがあってたまるものか。

列で歩くのも苦手だった。

前の人の背中に漫然とついていくことも、
後ろの人にせっつかれて追い立てられることも、
まっぴらごめんでござる。


今思えば、と、後付の理由かも知れないけど、
だから委員長・生徒会長ポジションの居心地が良かったのかもしれない

油だからさ・・・浮くんだよね・・・・・・。



image1 (9)



ま、そういう時期というわけで。



逃げたところでどうせ日々迫り来るアレコレとは向き合わざるをえないので
アレコレやってるうちに油が沸騰して天ぷらが出来上がるというわけです



生まれ変わったら天ぷらの「ぷら」になりたいですね。




お後がよろしくないようで。前後不覚。しゅば
摩擦 | -- trackback |  0 comment

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安い女の宴は姦しい 

女女女。


洗濯物を干しながら、食器を洗いながら、
穏やかに自戒する・・・

女を安売りしてはならない。


さて安売りとは



IMG_7133_R.jpg



わたしは性の問題に関して、
女だからどうとか、男だからどうとか、
そういう文脈で語りたいわけではない。

女性的であるとはどういうことか、男性的であるとはどういうことか、
自らの構成要素を分解してみたいだけなのだ。

よって私が語りたいのはトランスジェンダー論ではない



女であることを気にかけている時点でそのへんの女以上に女だし、
抵抗すればするほど重力に足をとられることはそろそろわかってきている。


だから、女について考えることは、
女として生きるということと真摯に向き合うための営みなのである・・・
うんぬん。まごうことなきうんぬん。


ただもし男に生まれていれば、
「男として生きるということと真摯に向き合う」なんてそんなこときっと考えないよね。笑
フシギだあ。


京芸生は8割が女の子なわけだけど、たぶんそのうちの7割くらいはジェンダーに対して何らかの問題意識を抱えていると思われる。(適当)

ゲイジュツをするということは、アイデンティティを問い直し続けるという側面があると思うのだけど
女性のアイデンティティの中に女という性が占める部分が大きいのか・・・


つまるところ


女は、人間である以前に女なのかもしれない

男は、男である以前に人間なのかもしれない



イヤーンものすごく誤解を生みそうな言い回しイヤーン!


女性は、常に定義されることを求めている。
自分がどこに存在していて、相手に対してどういう存在なのか、確かめ続けることに対して余念がない。

これに関してはあちこちで幾度と無く書いてきたのでまたそのうち




IMG_7146_R.jpg




さて、自分が男でないことが悔しく枕をずぶずぶに濡らした思春期は終わり、
スナックで働いてみて、自分が女であることをひとつの価値として認め始めたわけですが、
受け入れることと開き直ることは似て非なるわけだけれども、

あゝ自戒・・・。


もし、女であることを憎むならば、
それと同等かもしくはそれ以上に、女であることに救われているはずだとおもう


安売りするというのは、女であることに溺れることを意味する。
存在価値とかそういうところに重心を置いてしまうと、そいつに足を取られる。
思考停止。
なにかがみえなくなる



大事なのはきっとそういうことじゃないんよな・・・。



自らの価値を誇示しようと躍起になること自体が、
自らの価値を貶めているということを
淡々と自覚すべきである。


優しさとはなにか。

それは、だれのためにあるものか。




改めて、姿勢を正す次第であります。



やらかくいこか~



飽きたのでおわる
特筆すべきことは、サタデーナイトフィーバーが意外としょっぱい映画だったことくらいか・・・。
摩擦 | -- trackback |  0 comment

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