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そういう時期だから

まことしやかに囁いてよアレを

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冷や汗ぶっかけとりみだし茶漬け 

A「あのぅ・・・私ってADHDなんですかねぇ・・・?」
B「あなたは寂しいだけだと思います。」
A「」
B「私もです。」

アーメン。

―――――――――

↑1月27日の未送信メール

思考の断片を未送信メールに記録するようにしているのだけど、
たまに見返した時によくわからないものが出てくると、
鳥のフンひっかけられたような気持ちになるな・・・。



ファイル_000 (11)


◯閾値

友人とのニューヨーク旅行の朝、
グーグル翻訳に英語で話しかけて正しく認識されればOK、という遊びをしていて、
私は「word is world」と言う練習をひたすらしていた。

RとLの違いを口の中で調整するの、すごくたのしい。
あと最近のマイブームは「v」。
発音に正解があって、それをきっちり守らなければ通じない、というのは結構面白い。
KとC、FとH、BとVの違い。たのしい。
アルファベットたのしい。

バイト先のお客さんが8割外国人の方なので必死で英語を話しているが、
たとえば「coffee or tea?」という単純なことばでもいろんな要素が含まれている。
単語に「R」が入ると口内空間がグッと後ろの方に拡張する。
対して「tea」はすごく前の方にいる。「Please」なんかも結構浅いところで発音している。

ミュージカルの稽古で、いつも声楽科の方に歌唱指導をしてもらっていたのだが、
歌う時、とくに音を伸ばす時、母音によって口内空間の開き方が違って、
「あ」から「お」にいくにつれて奥の方に広がっていく、と教えてくださったのが面白くて、
頭にこびりついている。


音素の質感、音韻の閾値。


わーん、英語おもしろいようう。




◯寝坊

一ヶ月に2度ほど、本当にアホみたいな遅刻(遅刻 like an アホ) をする。
アホみたいな遅刻は、アホみたいな夜更かし(夜更かし like an アホ) に基づくのだが・・・

というのも、一ヶ月に2度ほど、ギンギンに冴えて眠れない日があって、
そうなると次の日にどんなに大事な用があったとしても、
無益な夜更かしに興じることを良しとしてしまう。


ま、要は、衝動に身を任せてしまうという話なのだけど・・・


重力に負ける、というよりも、重力に身を委ねて、
自分をわざわざ破滅に導いてしまうことがしばしばある。
その瞬間というのは、すべての理屈が無に還り、
考える部分の脳みそがどろんどろんにとろけている状態。

それによって重大なポカをしてしまうと、当然人からの信頼株は暴落する。(あちゃー)
 
優しい人に、「損するよ」とか、「勿体ないよ」と言っていただくと、
 
いや~・・・

本 当 に そ う 思 い ま す 。

と、思います、思う・・・のだけど・・・
毎回、その反省を咀嚼・嚥下はできても、
腑に落ちないまま胃のあたりで吸収されてしまうのであった・・・。
 




◯損得

そもそも、「損得」という判断基準にあまり共感できていない節がある。

「損」という感情は、自分が提示した価値に対して払われる対価が
「釣り合わない」と感じることだと思うが、
大概は持ちつ持たれつ、それ相応の価値があるだけだと感じる。

というか、価値の交換が「成り立っている」時点で絶対に「つりあい」は取れていて、
あとは傾き加減と感情(印象)の問題なんじゃないだろうか・・・
 
なにか買い物で失敗したとしても、自分が浅はかだったがゆえの相応の対価だと思うし、
つまらない映画を見ればつまらないことに面白さを見出すし、迷子になるのは良いことだし、
待ち合わせに相手が遅刻してきてもあまり何も思わない(・・・。)
その時々でなにかおもしろいものを見つけて納得(正当化)してしまう。

あとは「勉強になりました」という魔法の呪文で、
損得のものさしをどろどろに溶かすこともできる。


損得を考える思考回路が発達していないので、
税とか保険とかっていう制度が本当に苦手で困っている。
「後先考える」というのが基本的に難しい。

あと、損得を支点として「人の気持ちを考える」というのも難しい。
自分自身の損得ハードルが低いので、
「自分の行動が人に損をさせる」という思考になかなか至れない。


そういった理由で、衝動ストッパーがうまく働かないことが多いのだと思います・・・。



これは完全に人間的欠陥なので、
「やっべぇなぁ、どうしたもんかなぁ」と頭を抱えている次第です/(^o^)\


「俺のこと殴っていいから君のこと殴らせてよ!」って言ってるようなもんだし、
かたや「ごめんなさい!ごめんなさい!」と言いながら人を殴り続けてるようなものだしなぁ・・・



I see, I understand, but I can't make sense.
腑に落ちたい・・・

I want 誠意・・・






「真の悪は、”正当化”にこそ潜んでいる。」
               ~Chika Tsujison(1994~2095)


べちゃべちゃと汚い生き方はせぬように心がけたいものです。最後に勝つのは美意識・・・。



ファイル_000 (12)


京都府立図書館の、窓際の一等席を確保できるかどうかが、
QOL(生命の質)とふかくかかわっている♨



(次書く)
・学歴と選民について

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悲喜こもごもり歴21年 

ボンジュ~ル。ポンジュースのおいしい季節になりました。
えひめ飲料の公式サイトを見てるとたのしい気持ちになります。ポン・・・って・・・いいなぁ。


最近時間の流れが不思議な感じです。
20歳すぎると早いってよくいいますが、
うーんなんか一概にそうとも言い切れない何か。


22時すぎの御堂筋線で隣りに座った見知らぬおっさんに

ホンマ早いなぁ!なっなっ!せやろ!!ゆーてみホレ!!

って言われたら、アッはい・・・早いっすね・・・ってなると思うけど、
べつにそういう押しの強いおっさんとの出会いがなければわざわざ言及するほど早いとも感じない。


あえて言うなら、回転数はすごい早い。
ぎゅるぎゅるぎゅる、ぐわわー!!!って感じ。

毎日めまぐるしく、ぎちぎちになにかが詰まってて、ふわふわしてる。
変なんだよなぁ・・・密度感・・・。


まぁ学生のうちはそんな変わらんか。時間の流れとか。
ルーティンワークが増えると早く感じるとかそういう話やろな。

でもなんか・・・そろそろ学生飽きたなぁって・・・思ったりする///

社会出てぇ~~~~!!!!!!!!!
就活はよやってみたい。楽しそう。(舐めりんこ



image2 (8)


あれやな・・・ルーティンっていう概念があまり自分の中にない・・・
言うなれば、毎日生まれ変わっているもので・・・


昨日の私は前世であり、朝は前世のわたしとの同期作業からはじまる。
これがもう本当にしんどくて死にたくなる。

生まれることは、簡単だが、生きるためには、重力に逆らわなければならない。

やっとこさと重力に打ち勝って、
がっこうに行って、何人かに会って、話して、やる気を出したり引っ込めたりして、
大した意味もなく夜更かしして、溶けるように眠る。

死ぬときは来世のことなんて考えないタイプ。


だからなんかもう毎日新鮮だし毎日しんどい。尊すぎて。(脇汗)



 


最近興奮したことは、
これを買ったこと。

IMG_0536.jpg

1/150 立体駐車場(アイボリー)!!!!!!!!!!!

完全に衝動買いですどうも。
たまたま入った喫茶店が模型屋さんで気づいたらアップルパイと戦艦とカフェオレと立体駐車場を買っていた。

あと、ミニチュアフードのマニア向けの冊子とかが置いてあって、
ハァ・・・ハァハァ・・・!!!すぴゅぴゅう・・・・!!!!
となった。

マニア向けの冊子ってどうしてこう・・・
劇的な切実さがあって・・・んぐっふぅ・・・。


image1 (12)


はヒィん



全然話変わるけどね、
なんかさ自分ってほんとうに人と喋るの苦手だなぁって改めて思うのね。
人と喋るのっていうか、人と関わるの苦手。
距離のとり方がわからんのじゃ。
 
で、それがなんとな~くコンプレックスだったんだけど、

もはや悩むようなことでもないな、と、茄子をごま油で炒めながらふと思った。


それを問題だとするならば、ほんのちょっと勇気が足りないだけのことなのだ。
たとえば「ちょっと知ってる」人とすれ違った時に、やあ、と声をかけるかかけまいか、迷う。
そして大概は、声をかけずに気づかぬふりをして通り過ぎる。

なぜ、勇気が出ないのか?

え、だってね、何喋っていいか分からんもの。というのも世間話をするのが億劫だから。
「ちょっと知ってる」人が自分の言葉を受け入れてくれるかどうかが不安だからだ。
土俵(=共通言語)が整っていない相手だと、自分の言葉はするっと通らない。そのへんの土俵の整備がほんとうに苦手で。

スポーツをやってた人はたいてい、土俵の整備が上手だなぁって思ったりする。
その辺の間合いの取り方が根本的に・・・こう・・・ね。
人生唯一の後悔は、運動部に入らなかったことです・・・(もじもじ



単純に頭の回転が遅いなぁと・・・。

相手の言葉が10秒遅れて脳に届いたり、気の利いた回答を10秒経ってから思いついたり。

でもそれって別に、遅いから駄目とかじゃないんだよな。
数直線上でマイナスっぽい位置にいるだけで、別にただそれだけの事実。

グラフ上で負の数がなにか哀しみを抱えているか?
負の数は負の数としての役割を持っているだけだ。
それにX座標で負でも、y座標では正かもしんないしなぁ。次元いっぱいあるしなぁ・・・

だからねコンプレックスでも何でもない、単なる特徴でしかないんだよ~~



じゃあなぜそれがコンプレックスになりうるのかというと、
外的評価にとらわれているからである。

結局のところ、自分は自分で思ってる以上に気にしいだし、ヘタレなのだった。あはぁん!



なんとな~く隣の芝が青くて、
なんとな~く自分のほうが損してるような気分で過ごしてしまったりする。

でも、例えばよ?

みんながみんなそういう気分で過ごしてるとしたら・・・え、人類めっちゃ愛おしくね・・・?!




それぞれの役割において自分を欲している人は必ずいて、
その人の為に生きれば良い話なんだけれど、

じゃあそれ以外の人と関わるときにはどうすればいいのかというと、
ビジネスだと思えばいいんだろうなぁ。とぼんやり思った。
関わるときには絶対、何かしらのメリットとデメリットが発生してて、
できるだけメリットを相手に提示できるように会話できたらいいんだろうなぁ。

んなこと考えてたらすげー疲れそうだから絶対やんないけどね。



やっぱ、必要なことしかやんないんだよ人は。

劇的な切実さだけが、人を動かすのだ。



やろう!っていくら頑張ってもできないもんはできない。
できるような切実さを手に入れなければ。



こないだ喫茶店でたまたま見つけた片付けの極意の本(主婦向けムック)


IMG_0543.jpg


これって、これって、
自然界の摂理にも、組織論にも当てはまることなんじゃないかと、
めちゃめちゃ興奮した・・・。


循環しよう、健康的に生きよう。
誠意を尽くして生きたいれす(よだれ)

今年の目標は・・・ごまかさないこと!!!!



最近は主に、夜な夜なとろけるチーズをもひもひしています。よなもひ~。

なんか改めて、自分クソマジメやなぁと、ほとほと呆れ果てる。
ほとほと・・・。あぁ~~こぼれてるって、もぉ~~~~。


それではみなさんごきげんよ~~ボンソワァ~~~
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UDATSU doesn't rise. 

バスに乗っていて、目的地に着いてほしくないと思うことがよくあります。
みなさまはどうですか?(突然のコール&レスポンス)


小学生の頃の家族旅行。
父が車を運転している。母は助手席で、弟達は後ろでシート倒して寝ていて、
わたしは、助手席の肩の部分にあごを乗っけてにこにこしている。


結局のところ、どこかに行きたいというのは口実で、
そこに向かう過程が一番うれしくてたのしくて、大好きなのだった。



だって着いてしまったら、終わってしまうじゃないかあ。うぺぺぴぽぽ。



きっとこの感覚はそう珍しいものでもないというか、結構多くの人が抱いている感覚なのだと思うのだけれど。
普遍にこそ真理あり。


ものごとには終わりがあるからこそ尊いわけですが、
そこでゴールというものは、「便宜上」設定されるものであります。
ビジネスとかでいうと、ビジョンとか目標っていう言い方もできるね。
それはベクトルを決定するための手段であって、目的ではない。

いや、まあ結局のところ、何を目的とするんかって話なんやけどもね。
何を手段として、何を目的とするか、というところがクリアでないと、視界が濁ってろくでもない。
得てして手段に溺れがちなわたしたち。ぽこぽこぽこ。


ひとは便宜上死ぬけれど、死ぬために生きてるわけじゃない。そら、せやな。
じゃあ、死ぬことを恐れてる暇があったら、絶対いまを慈しんだほうがいいじゃんって、そういう単純な話ね。はい陳腐


でも便宜上必要なんだよ、ゴールは。

はあ・・・人間かわいい・・・。泣きそう・・・・。(※泣かない)




時間には乳白色の液体のようなイメージがあって、
限りなく透明感のある不透明。

流動的で、きのうまでそこにあったものが、まばたきした隙にもうない。

きのうまで、あんなに「確かっぽかった」ものが、きょうにはもう何も残っていない。



だからね私達は、絶対に手に入らないものを求め続けることしかできないの。

ああ、なんだかせつない。みぞおちがきゅっと苦しくなります。ね。



などと、無闇にポエティック。無駄にセンチメンタル。



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さて、夜も更けてきたことですし、元も子もないことでも言いましょうか。
基本的に私は元も子もないことしか言わないんですけども・・・


「分かる」ということに、一体どれほどの価値があるんだろうか。と。

ここ数日はそんなことばかりもじゃもじゃと考えております。


例えば小2男子が親に、宿題やんなさいよ、と言われる。
男子は「分かってるよ。」と答える。

それって、分かっているかもしれないけれど、解っていないのではないかしら?



ここで、「分かる」と「解る」を区別して考えることにします。

「分かる」というのは、ことばにすること。ことばによって枠付けること。
自分の中で言葉に出来た(納得のいく説明ができた)時、人はそれを「分かった」と言う。
そして人は日々色んな事を、いっしょうけんめい、分かろうと、がんばっています。

「解る」というのは、体現できること。
ことばを超えた領域で、掴む、というか、掬う、というか。


「分かる」=understand
「解る」=make sense

というとわかりやすいかもしれない。



「分かる」ことが、いっしょうけんめい「分化」しようとする試みだとすると、
「解る」はむしろ自然に、「未分化」な領域で起こっていることで。

だから学びの中には、いちど「便宜上」分けたものを、解体するというステージがあるべきなのじゃないかなあ。

コップに入れた液体。ひっくり返すか、浴びせるか




ああ、そうだ、そうだ、そういえばそういえば、小山田先生も言っていた。
「ことばは、今日の自分を納得させるためのものでしかない。」

流動的なものを、コップに入れて、納得できて、ああ満足、そう思った瞬間に、中身はもうすでに腐り始めている。

「満ち足りた」瞬間、すでに「足りない」がはじまっている。(by高3の辻村知夏)




流動し続ける事こそが、生の尊さなのだ、きっと。
原子の中で電子が動き続けてるようなものかな。しらんけど。

引き合って、摩擦し続ける、エネルギー
対立概念、きっと元は同じものだから、必然的に引き合う。ぐりぐりぐりぐり。



流動的だからこそ、「いま」が何よりも重要で、
「いま」は、過去を想起させ、未来を誘発する。

刹那は、永遠を口に含んでいる。



「分かろうとする」ことはすごく尊くて、重要な事です。
しかし「分かる」ことそれ自体は、便宜上のゴールでしかない。




ああ、こうやって書いているのだって、自分が納得するために、ことばにして、「解ったような気になって」いるだけなのです。



だからもう最近はもう、ことばにすることがもはやもどかしい。
もう余計なこと喋りたくないです。いや、それ言ったら全部余計なことなんですけども。

最近は主に、ねんどをこねたり丸太を彫ったりミュージカルをつくったりしています。
ふふふ。楽しい。ふふふふ。



人間がどんなに醜くても、世界は勝手に美しい。えへへへ。
愛してるぜ。あばよ!
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昼間っからできあがってる 


鼻が詰まっている。

からだの、皮膚の、内側が、
なんだかもじゃもじゃと奇妙な音をたてているのがわかる。

要するに風邪を引いているらしいが、それ自体は特に問題ではないよ。



月々4万8千円と引き換えに借りている箱の中では

布だの紙だの本だの写真だのが

ぶくぶくぶくぶくぶくぶく   ぶくぶく
ぶく   ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく
ぶくぶくぶく   ぶくぶくぶくぶくぶく
ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶ   くぶく

泡立っていて、

なんとなく生活がままならないのは、
そいつらがベッドの上まで侵食してきているせいで。
泡立つ、じょーほー、押しのけて、どうにか寝るスペース確保して。

ベッドから足がはみ出るが特に問題ではない。



机の上の花はカピカピに枯れきってる。


窓から曇り空がはみ出てる。



わたしオンザ掛け布団、のっしと沈み込んで、なんとなく洗濯バサミとか見ている。

ラジカセからは憂歌団とか真心ブラザーズとかtheピーズとかを流す。
これが最高に心地良い。



自分に酔っているだけだと言われればそれまでだが、
事実、自分に酔っているだけなのであります。



世界は意外とクズにやさしい、
いや、クズがいるから世界はやさしい。
クズ的要素を排除しようとすれば、とっても住みづらくなってしまうだろう。

駄目な自分を認める、とかいうと急にもんのっすごく陳腐なメッセージになってしまうが
いや、ほんとはみんなクズでしょ?って。
まずは不完全さを認めないと!なにも始まらない。



生暖かい人間関係は、ちょっと苦手だ。
生ぬるい人間関係は、なんか好きだ。



どう違うかというと

生暖かいのは、人肌くらいの温度。
お互いを認め合ったり、わかちあったり、褒めあったりするやつ。
そやって、生きてるよね?私生きてるよね?ってお互いに確認する。

汗ばむから、しょっぱい。



対して
生ぬるいってのは、なんかもうギリギリ生きてるくらいの温度。
ほぼ死体に近い。

お互いの存在を超えたところで話をする。
例えば世界の美しさや醜さなどについて。

というのも、自分が生きてるなんてのは、じつは自惚れにすぎないかもねって。
「毎瞬間に、生きながらにして死んでいる」か、もしくは、
「基本的に死んでてたまたま生きている」かの
どっちかじゃないかと私はにらんでいるのだが

たぶん、謙虚なのが好きなんだろうなあ。   (お、虚という漢字が含まれているぞ・・・)



思えば、ぬるい油のような人生だ。
たまーーに火が点いて、すごい頑張る。
水の集まりに飛び込むとどうしても浮いちゃう。
ときどき潤滑油にもなったりする。

基本的にはぬるいのさ。
(ま、そのへんは人それぞれだと思うんだよ)




すこし話を巻き戻しまして、
自分に酔う、ということについて。

自己愛に基づく破滅願望。


どうやら痛みとか苦しみとか悩みとかストレスが、自己の存在を正確なものにするっぽい。

正確、正しく確か。
残念ながらそんなものは存在しないので、朦朧、妄想です。



噛み砕いて言うと、
「痛い」という強い感情に乗っかることで、自己認識を正当化することができると。


もっと噛み砕いて言うならば、
「痛い」という言葉のなかに、
「こんなに痛い思いをしているんだから、それ相応の見返りがあって当然だ」
というような主張が暗黙のうちに含まれている。

見返りを求め、主張するという行為自体、
自分の中に圧倒的な「正しさ」の自覚がなければできない。
相対的に正しさを保証する「契約」がないならば、
およそ正常な精神状態でできることではない。

だからある意味「異常」な位置に自分を置くことが必要になる。
それが、自分に酔って酔って、ヨッパライになっちまうということで。

まぁ、逃げ道でしかないんだけどね。笑



IMG_0356.jpg



余談だけど、(まぁ、全部余談だけど)
最近気づいたことで、私はどうやら「人にはさまれる」ことが苦手らしい。

教室で座る席は一番前か一番後ろが良い。
バスに乗るときは、できることなら一番前か一番後ろにしか座りたくない。

前にも後ろにも人の気配がするなんて、そんな居心地の悪いことがあってたまるものか。

列で歩くのも苦手だった。

前の人の背中に漫然とついていくことも、
後ろの人にせっつかれて追い立てられることも、
まっぴらごめんでござる。


今思えば、と、後付の理由かも知れないけど、
だから委員長・生徒会長ポジションの居心地が良かったのかもしれない

油だからさ・・・浮くんだよね・・・・・・。



image1 (9)



ま、そういう時期というわけで。



逃げたところでどうせ日々迫り来るアレコレとは向き合わざるをえないので
アレコレやってるうちに油が沸騰して天ぷらが出来上がるというわけです



生まれ変わったら天ぷらの「ぷら」になりたいですね。




お後がよろしくないようで。前後不覚。しゅば
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安い女の宴は姦しい 

女女女。


洗濯物を干しながら、食器を洗いながら、
穏やかに自戒する・・・

女を安売りしてはならない。


さて安売りとは



IMG_7133_R.jpg



わたしは性の問題に関して、
女だからどうとか、男だからどうとか、
そういう文脈で語りたいわけではない。

女性的であるとはどういうことか、男性的であるとはどういうことか、
自らの構成要素を分解してみたいだけなのだ。

よって私が語りたいのはトランスジェンダー論ではない



女であることを気にかけている時点でそのへんの女以上に女だし、
抵抗すればするほど重力に足をとられることはそろそろわかってきている。


だから、女について考えることは、
女として生きるということと真摯に向き合うための営みなのである・・・
うんぬん。まごうことなきうんぬん。


ただもし男に生まれていれば、
「男として生きるということと真摯に向き合う」なんてそんなこときっと考えないよね。笑
フシギだあ。


京芸生は8割が女の子なわけだけど、たぶんそのうちの7割くらいはジェンダーに対して何らかの問題意識を抱えていると思われる。(適当)

ゲイジュツをするということは、アイデンティティを問い直し続けるという側面があると思うのだけど
女性のアイデンティティの中に女という性が占める部分が大きいのか・・・


つまるところ


女は、人間である以前に女なのかもしれない

男は、男である以前に人間なのかもしれない



イヤーンものすごく誤解を生みそうな言い回しイヤーン!


女性は、常に定義されることを求めている。
自分がどこに存在していて、相手に対してどういう存在なのか、確かめ続けることに対して余念がない。

これに関してはあちこちで幾度と無く書いてきたのでまたそのうち




IMG_7146_R.jpg




さて、自分が男でないことが悔しく枕をずぶずぶに濡らした思春期は終わり、
スナックで働いてみて、自分が女であることをひとつの価値として認め始めたわけですが、
受け入れることと開き直ることは似て非なるわけだけれども、

あゝ自戒・・・。


もし、女であることを憎むならば、
それと同等かもしくはそれ以上に、女であることに救われているはずだとおもう


安売りするというのは、女であることに溺れることを意味する。
存在価値とかそういうところに重心を置いてしまうと、そいつに足を取られる。
思考停止。
なにかがみえなくなる



大事なのはきっとそういうことじゃないんよな・・・。



自らの価値を誇示しようと躍起になること自体が、
自らの価値を貶めているということを
淡々と自覚すべきである。


優しさとはなにか。

それは、だれのためにあるものか。




改めて、姿勢を正す次第であります。



やらかくいこか~



飽きたのでおわる
特筆すべきことは、サタデーナイトフィーバーが意外としょっぱい映画だったことくらいか・・・。
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